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    <明日ママについてどっかのライターさんが書いたこと>

    「事実の親と真実の親は違うんです。」
    第8回放送で、ある日突然引き取りにきた生みの親と、自分を大切にしてくれる大好きになった里親の両方に手を引っ張られるというシーンがあった。
    (中略)
    我々は、生物学的に子どもを産めば、ごく当たり前かのように自然に親になるように思っている。しかし、実は「親になる」ということはそんなに簡単な、自動的なものではなく、時間と労力と、そしてこれでもかというくらい愛と心を投入して「真実の親」になれるのではないだろうか。子どもを実際に育ててみて、そのように思うようになった。
    (中略)
    「ポスト」という呼び名は本人によって誇りをもってつけられた名前だった。そして、ドラマが進むにつれ、それが、それぞれの子ども(仲間)にとっての「真実の親」を探し、引き合わせる「こうのとり」の役割を果たす意味合いも込められていたことに気づく。つまり、「ポスト」は決して悪いことの象徴ではなく、「真実の親」と引き合わせるという、よい意味での「こうのとり」の象徴として使われているのである。最終回のラストシーンで、ポストの呼び名が使われなくなるのは、その「ポスト」としての役割を終え、自らも「真実の親」に出会えた後だ。

    <ここから私見>
    ・・・そしてあたしは個人的に母親より父親的感覚なのですぐ親になれないキモチがよくわかる。
    苦労も取り越し苦労もまだまだ足りない。まだまだ親になりきれていないと思う。
    しかしきっぱり大人ですよ。
    純粋は持ってていいけど幼児性は捨てましょう。

    さて、子どもの貧困(6人に一人)がやっと表沙汰になってきた。1日に一食、給食しか食べられない児童がいるそうだ。この日本に。
    両親の夫婦仲は悪い。片親も多い。経済は良い方向になどいっていない。日本の慣習上、女子はパート体系から抜け出せない。
    男子も会社全体がいけない。生活は苦しい。虐待やDVは他人事ではない。すぐそばにたくさんある。

    個人情報保護法によって子どもの親の職業や電話番号さえなかなか聞けない。担任も生徒の暮らしに首はつっこめない。
    子どもは貧困なんて言えない。聴けないから隠れてしまう。
    昔の長屋が懐かしい。
    現在、校長やPTA会長や子どもの親にいろいろ電話しちゃうアタシみたいなのはモンスターと呼ばれる。
    モンスターでいいと思う。誇りにしよう。
    困ってる人に干渉はしないで助けあいましょう。

    アタシはいまだに困ってるけど保育所の方や担任の先生に頼ってます。
    義理人情は訴えなきゃ、いわなきゃだめな時代。

    前座時代、母やシッターに任せっきりで仕事に出ていたら保育園の園長に
    「うちは養護施設じゃありません」といわれたときの憤り。

    お金をかけてシッターやその他のマネージメントをするのだって本当に大変です。

    区役所や関連施設、いつも憤りながら訴え続けてます。
    訴えると微々たる前進があります。必ず。

    でも、どんなに叫んでても、「手伝ってもらえない」のが子育てです。
    時代が変わってきたこと、もっと、もっと「限界」訴えましょう。

    言わない国民性。関わらない安心感。
    もう、遅いって段階で
    「言ってくれたらよかったのに」
    って言いそうだ。

    風子

    追記:
    うちの母も誰も手伝ってくれなかったと、メールをくれました。
    たぶん、社会や世間、家族は昔から「お母さん」にばかり頼る子育てだったんでしょう。
    今は無理ですよ。
    「お母さんでしょ!」は通じません。
    それはもう、弱者に対するパワハラです。
    2014/03/24(月) 23:06 LOVE COM(0)
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